2024年4月に改正障害者差別解消法が施行され、民間事業者の合理的配慮が法的義務化されました。
事業者によってはまだまだ馴染みのない概念である合理的配慮が義務として定められた意義を理解するには「障害の社会モデル」の考えを理解する必要があります。
「サービス介助士」では障害者差別解消法や「障害の社会モデル」の理解だけでなく、合理的配慮に必要な具体的な対話や接遇、介助について実践的に身につけることができます。
この記事はサービス介助士の学びをふまえて、なぜ「障害の社会モデル」の考えが合理的配慮に必要なのかを解説していきます。
合理的配慮とは、障害のある人が日常生活や社会生活を送る上で制約となる社会的障壁を取り除くために、個々の状況に応じて行われる調整や変更のことです。
合理的配慮の具体例として事業者では以下のような対応があります。
など
ただし、合理的配慮の提供に過重な負担を伴う場合は除外されます。
詳しくはこちらの記事でも解説しています。
「障害の社会モデル(Social model of disability)」とは、障害や困難の原因を社会や環境に見出す考え方です。
「障害の社会モデル(以下社会モデル)」は、その対極の考え方、つまり障害や困難の原因を個人に見出す「障害の個人・医学モデル(以下個人モデル)」を理解することで分かりやすくなります。
例えば、車いすユーザーが、お店に入店できないという障害(困難)があったとします。
この時、車いすユーザーがお店に入れない原因を「個人モデル」観点、「社会モデル」観点で考えると以下のようになります。
このように「社会モデル」、「個人モデル」の違いは、「お店に入れない」という同じ障害(困難)の原因を、個人に求めるのか、社会や環境に求めるのかという点にあります。
「障害の社会モデル」観点で障害を捉えると、どのようになるのかということを、「個人モデル」観点と対比しながらいくつか事例で考えてみましょう。
その人が目が見えないから(印字されている)資料を確認できない
会議の資料が墨字(紙に印刷された文字)資料だから確認できない
目が見えることが前提の情報提供慣行だから確認できない
その人が耳が聞こえないから会議の内容を理解できない
会議が音声主体で情報伝達されているから内容を理解できない
耳が聞こえることが前提の情報提供慣行だから確認できない
その人が“コミュニケーション能力”に問題があるからついていけない
会議で特定の / 定型的なコミュニケーション様式を求めている
(論理的思考、暗黙の了解などが望ましいとするやり取り)
障害や困難を「社会モデル」観点で考えると、社会側には原因となるものが複数あると考えることができます。このような社会の障害を障害者差別解消法などでは「社会的障壁」として、主に
①事物の障壁
②制度の障壁
③慣行の障壁
④観念の障壁 と分類しています。
ただし、「個人 / 社会」と単純に区別することにも注意が必要です。
例えば、現代の人間社会では「目が見えない」ことは“身体障害”=“個人の特性”と見なされますが、「ブラインドケーブ・カラシン」という目が退化した魚もいます。
ブラインドケーブ・カラシンは絶滅しておらず、特定の生息域(=社会)で生きています。
このように、個人のある特性を「身体障害」と“見なしている”にすぎず、実際にそれが身体障害なのかどうかということは、社会の価値観に強く影響を受けていることが分かります。
(“目が退化”という表現もあくまで人間社会の視点での捉え方です。)
障害を考える時に、「個人:目が見えないこと」ではなく、「社会:目が見えることを求める社会」に原因を求める時でも、「個人 / 社会」の捉え方自体についても考える必要があります。
「個人 / 社会」、「健常 / 障害」といったあり方そのものを問い直すプログラムとして、日本ケアフィット共育機構では「バリアフルレストラン」というプログラムを企業や自治体のイベントへ提供しています。
障害者差別解消法では、障害を「社会モデル」の観点で捉えています。
それでは合理的配慮も同様に「社会モデル」観点で考える必要性はあるのでしょうか?
例えば、合理的配慮として、「車いすユーザーがお店に入店できるよう、段差を越える介助をする」というサポートを行ったとしましょう。
“入店できない”という困難の原因をどのように捉えようが、合理的配慮の行為(=介助)自体に変化はないように思えます。
はたしてそうでしょうか?
合理的配慮を「個人モデル」観点で考えた場合、「入店できないのは、その人が歩けないから」を原因と見ることができます。
そのような原因に対して、「入店できるように段差を超える介助をする」という問題解決を誰が引き受けるか、は別の話になります。
歩けないのは個人の特性が原因の問題であって、他の人(社会)が問題解決(段差を越える介助)に関わる動機や責任はどこにあるのか分かりにくくなってしまいます。
歩けないのは個人の問題なので、入店できるようにするために、
というアプローチも考えられてしまいます。
入店できない問題を個人の原因と捉えると、仮にその個人の問題に他の人や社会が取り組むとしたら、“大変そうだから”や“かわいそうだから”という心情や善意に訴えかけるしかありません。
そうなると、大変そうに見えない人や、同情を喚起できない人、善意の域を超えた問題に対しては、他の人は取り組もうとはならないかもしれません。
障害の原因がどこにあり、どのように解消し、その解消の責任はどこにあるのか、ということは以下のように分けて考えることができます。
障害(困難)の原因はどこにあるのか
個人(心身機能の制約・欠損) OR 社会(社会的障壁)
障害(困難)をどのように解消するのか
障害者個人を変える(リハビリ/補助具など) OR 社会(社会的障壁)
障害(困難)の解消は責任はどこにあるのか
個人 OR 社会
更にチャート形式で表すと以下のように分類できます。
この時、注意したいのは、「個人/社会」と分類していることそれ自体に社会の価値観が映し出され、本来なら社会が原因なのに、個人の原因と見なされ、誤解されているようなことがあるということです。
それを踏まえたうえで、このチャートを説明すると例えば、世の中には、障害の原因は社会にある / にもかかわらず個人を変えることで解消しようとされ / そして解消責任が個人に押し付けられる、ということが起こっていたり、障害の原因は社会にある / にもかかわらず個人に原因があると思われるようなことが起こってしまっています。
このように、困難の原因を障害のある人個人に求めると、その解決を他の人(社会)が取り組む動機を見出すことが難しくなります。
合理的配慮の提供を「社会モデル」で考える必要があるのは、障害や困難の原因が社会側にあり、そしてその解決も社会側にあると考えるためにあるからです。
事業者に合理的配慮が義務として求められるのは、障害者に困難や制約を与えている社会的障壁は事業者が作りだしたからです。
「車いすユーザーがお店に入れない」という困難の原因は、例えば「階段しかない入口」にあります。
「階段しかない入口」は事業者が作りだした社会的障壁です。
このように考えると、「階段しかない入口」という社会的障壁を取り除く責任は、車いすユーザー個人に求められるものではなく、事業者側に求められるものであって、事業者が合理的配慮を“善意”や“思いやり”をベースに行うのではなく、義務として実行していく意義が理解できます。
合理的配慮は障害者に困難や制約を与えている社会的障壁を取り除くための調整であって、「社会モデル」観点で考えることで、困難の原因が障害者個人ではなく、その解消に向けて事業者が取り組む必要があることが明らかになりました。
また、障害者差別解消法では、「階段しかない入口」を直ちにフラット化することを求めているわけではなく、事業者に過重な負担が伴わない範囲で、障害者との建設的対話を通じて、障害者と事業者双方が納得のいく合理的配慮の手段を実行することを求めているため、事業者に無理難題を突き付けているわけではありません。
また、今後は、社会的障壁があったら直ちに除去していく、と短絡的に考えるのではなく、なぜそのような社会的障壁が作り出されたのか、許容されたのか、ということを考え、自社が本質的に持つ価値観を見直すことも必要になってきます。
合理的配慮は障害の度合いや状況に応じた個別調整が必要なため、企業としては‘自社の業態ではどうすればいいのだろう’というケースもあります。
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